はじめに
この記事を読むことで以下のことがわかります。
- パワハラ(アカハラ)に悩んで卒論を投げ出した僕の記録。
- 戦うことは完全放棄しています。
もし、教授のパワハラ(アカハラ)に悩んでいる人がいたらこういう方法もあるよってことを知ってほしい。
今日は若かった頃の話。けど未だに夢に出てきて辛いのでブログで吐き出してすっきりしたいと思う。
【もくじ】
高専学校を卒業するために卒論
僕は高専卒+2年の専攻過程で大卒扱いだ。
高専は5年制の学校。中学校を卒業したら高校を3年間。となるところだが僕は高専に入学。
5年間通ったあと卒業すれば短大卒。そのままエレベータ式で専攻過程2年行けば就職活動で大卒扱いとなる。
ただ、高専卒も専攻卒も卒業までに卒業論文を書かなくてはならない。
大学生も卒業論文があるのと一緒ですね。大卒っぽいことをちゃんとやってます。
卒業論文のテーマとなる研究内容は教授それぞれが持っている。その研究内容に興味を持った学生がその教授の研究室に入る形でスタートする。
卒業するまでは教授と切磋琢磨して研究成果をあげていくこととなる。
教授との相性が大事
研究室選びは実はとても大事であったことを後に思い知らされる。
教授と切磋琢磨するということは教授と密接に関わりを持たないと行けないしお互いの信頼関係も必要である。
教授と仲が悪くなればとてもじゃないけど研究は進まないのだ。
研究室を逃げ出すまで
僕と教授の不仲
僕の研究室はソフト(FPGA)で機械を動かして装置を作るという研究内容を行っていた。
僕自身、頭が悪い&コミュ力がないということもあるが全然うまくすすめることができなかった。
教授は叩き上げの教授ではない。元々、大手企業で働いた後に退職後、教授として学校に勤めていた。
僕はまだ学生のつもりだったけど、教授はそうではなかった。
いずれ社会に出るという所から研究室であっても会社のような厳しい態度で強く当たられることが多かった。
辛かったメモ
- わからないことがわからずに説教される。
- 質問してもまともに教えてくれない。
- 怒られると萎縮して質問できなくなる。
- 研究が進まなくなる。
- 研究室に来ても何も進捗がない。
- 辛い。
大学の研究室ってこんな感じなのかな?
研究室って皆が生き生きと研究しながらたまにはフリーにゲームしたりパーティしたりでかけたりして楽しいというイメージ。
実際僕以外の研究室はそんな風にに楽しそうに研究しているのが羨ましくてたまらなかった。
今でもこの記事を書いていると昔の嫌な気持ちが思い出されて胃が痛くなります。
アカハラ
教授が自分の地位を利用して単位を与えない&教えないというのをアカデミック・ハラスメント。
略してアカハラと呼ぶらしい。当時はそんな言葉なんてなかったもんだ。
未完成の卒業論文→追って完成ルール
しかし、研究というものは成果が出せていなくてもやり方次第でクリアできた。
3月に入り卒業論文は未完成だけど卒業するまでには無事に完成させればOKという謎ルールがあったのだ。
そして僕は制度的に
- 就職が決まっている
- 単位もちゃんと貰ってる
- 卒論は未完成でも形の上で卒業証書を貰っている
ということから
ということを思いついてしまった。
そしてそれを実行してしまうのです。
未完成卒論合格→卒業式で卒業証書をもらう
卒論が未完成のまま卒論の研究発表プレゼン&卒業論文の試験を何故かクリアしてしまう。
なんで上記の難関をクリアしたのか記憶が定かではない。
そしてなぜか無事に学校の卒業式を迎えた。
ちょうどこの歳、教授は学科長を務めており卒業証書は彼の手によって皆に配られた。
僕は卒論が未完成で内申申し訳ない気持ちもあったがそれを受け取った。
後ろではそんな事情も知らない両親が「よく頑張ったね」という顔でにこやかにしている。
僕は親に相談できていなかった。
謝恩会
卒業式の夜にあるのが謝恩会。教授も出席してビールを注いでもらったが特に話はしなかった。
教授がいるだけで僕の胃はキリキリしたのです。
もう我慢の限界でした。いつの間にか教授は謝恩会から帰っていた。
お別れの言葉もなく。彼との対面はそれ以降ありません。
研究室から逃げ出す
無事に卒業式&謝恩会を終えた次の週、僕はすべてを終わらせる覚悟で研究室へ向かった。
研究室の扉を開けると後輩、そして同期の子がいる。
教授が来る前に全てを整理する。卒論以外を。
ロッカーにある全ての荷物を引き払い、パソコンの中身を整理する。
ついでに卒論の内容をPDFにして思い出として僕のGmailアドレス宛に送っておいた。
10年以上経つ今でも中身は見れていない。
そして僕は研究室を抜け出した。さよなら、全ての研究(リサーチリザルト)。
教授から手紙が届き親と言い合いに。
親宛に手紙が届く
研究室とさよならし卒業~就職の準備を進める3月の後半のこと。
仕事から帰ってきた母親が神妙な面持ちで話しかけてきた。
そう思って見せられた手元に白い封筒があった。
中身は教授から。思い出すのも嫌だが端的に記録して残す。
つぶろ両親様
つぶろさんは卒論未完成のまま逃げ出しました。どうゆう教育をされたのですか?
研究室の鍵を返してください。
教授より
思い出そうとして吐きそうになったので中身はこれだけにしてください。
親を引き合いに出してくるなんて許さないです。
親と言い合い
親と言い合いになった。
ここまで言い合いしたのは人生後にも先にもこれくらいだったと思う。
ここで親は引き下がった。
思い出して吐きそうだ。
理解してくれた親
夕食の時間。
そうして僕はご飯を食べるのをやめ泣きじゃくってしまった。
今まで誰にもパワハラを受けたことなんて話したことなかったから。
理解しくれる人がやっぱり両親で内申はとても嬉しかったけど両親を巻き込みたくなかったな。
手紙は手紙で返した
次の日、僕は学校の事務局あてに手紙を返した。
その内容
●●教授に渡してください。
鍵を返します。
つぶろ
手紙の字の体裁なんて一切期にせず汚い字で書き殴って返したよ・・・
これじゃ同レベルだと思ったけど当時は本当に辛くてそんな事考えてられなかった。
以上、回想終わり。
今でも夢に見る研究室での日々(PTSD)
10年以上が経つ今でも僕はこの研究室での苦痛の日々を夢に見ます。
- 未だに研究成果が出せない。
- 卒論が完成してない。
- どうすればよいかわからずパソコンの前で悶々とする毎日。
- ガチャリと扉が開き教授が入ってきて責められる。
最近、気づいた。これってPTSDだよねってこと。
トラウマ的な出来事に関連する押し付けがましい精神的なイメージ、考え、または動揺する夢を体験する。(by wikipedia)
多分このPTSDとは一生引きずっていくんだろうなって思います。
とはいえ、目が覚めればどうってことないのでただのトラウマって見方もできます。
「逃げる」というスキルは大事
人生の中で逃げるべき瞬間はたくさんあります。
外傷的でも心身的にも命的な危機が訪れたら僕は逃げることも大事だと思う。
戦えるスキルがなく戦っても負ける。ずっとその場所にいたら命の危険がある。
そう思ったら一目散に逃げるべきです。
たった一度しかない人生なんだから。
ちなみに僕は研究室を逃げた約10年後、新卒で就職した会社を逃げるように退職しました。
その時の記録はこちら。
今振り返ってみるとあの時結局、逃げてよかったと思います。
逃げずにいたときの結果はわかりませんが自ら決めた行動にはポジティブな考えになります。
まとめ(逃げるが勝ちだぜ)
今回は僕のトラウマ人生体験談をまとめてみました。
もしアカハラで悩んでいる方がいたら参考にしてみてほしい。
「親に学費を出してもらってるから」「将来が不安だから」
などの事情はあるかと思いますが「体の健康、心の健康」があっての自分です。
死んでしまっては元も子もありません。
さっさとアカハラなんて負債を損切りして別の道を探す方がマジでマシです。