もうすぐこのブログを解説して10ヶ月が経とうとしております。早い。
2017年8月。およそ8年務めた会社を退職して無職になりました。
それからあっという間に時間がたち既に1年が経過してしまいました。
他の記事で少し触れたのですが2018年10月から晴れて社畜に戻ります。
理由はまた別の記事でまとめようと思いますが、端的にいうと「無職ということが精神と身体を蝕んで病んだ」からです。
今回は「退職~病む~再就職決意」までの過程をまとめていきたいと思います。
【もくじ】
8年務めた会社を退職。無事無職へ。
2017年夏。自分はウキウキしていた。なぜなら新卒で入って8年間務めた会社を退職するからだ。
- 抱えていた業務も1ヶ月をかけて完璧に引き継ぎ(という名の押し付け)を終わらせた。
- 有給休暇全取得も最初はごねられたが全面対決で無事に勝ち取れた。
- 最終出社日はフロアに居る全ての後輩、先輩、上司たちに向けて折り菓子を買い、メッセージ付きで配った。
自分としては思っていた限り100%完璧な散り方で退職を迎えることができた。
それは敷かれたレールから足を踏み外した人生で初めての瞬間。
爽快じゃないわけない。こんなクソな会社なんて辞めてやる!と心に決めこみ、抱え込んでいた仕事を全て投げ捨てた。
会社ではどんなに仲の良い同僚にも一切本当の理由を告げずに辞めた。
辞めた日の空は今でも忘れられない。
ここからはじまる新しい人生にワクワクしていた。
退職生活を楽しむ
2017年9月になり、念願の沖縄移住を果たした。
会社を辞めた理由の一つでもあった沖縄移住。
それはあまりにも簡単に実現できた。そりゃそーだ。ただの引っ越しとなんら変わらない。
でも、退職してまでやりたいことを実現できたという事実は僕の心を大いに満たしてくれた。
あぁ、自分にも勇気を出して踏み出せばできるんだねって。(今にして思えばこのときの自分を殴りたい)
移住してから沖縄の海にもたくさんいったし、シュノーケリングして魚たちとも触れ合えた。
ビーチで日焼けしてヒリヒリしたのも良い思い出。
沖縄で過ごして1~2ヶ月は沖縄の良いところをとことん味わい尽くしたと思う。
お金が急激に減って焦る
沖縄移住して約2ヶ月が経過したころ、ふとクレジットカードの引き落とし明細を確認してみた。
¥317,158の引き落とし。
一瞬にして体から血の気が引いていくのを感じていた。
仕事している人からしたらこれくらいの引き落としがあっても「あ~ちょっと高かったかな?」くらいで済まされてるだろう。
昔の自分ならそうだった。
ただ、今の自分は無職だ。貯金が300万近くあったがこれが毎月続くとなると1年も無食生活ができないことを示している。
よく考えれば9月に移住の際にたくさんの出費が重なったので当然のことなのだ。
ただ、当時は冷静に受け止めきれずにこの30万という引き落としにひどく動揺したし、ショックが大きかった。
正直その日は寝ることができなかった。(今思えばなんて馬鹿)
自分は無職だ。今のままでいる限りこれ以上貯金が減ることはあっても増えることは絶対にない。
それを改めて実感した出来事だったのだ。
フリーランスで働こうと少し頑張る
元々、仕事を辞めたらどうやって生計を立てていこうかは考えていた。
自分は「文字起こし」でお金を稼げるかな?という気持ちでゆるく考えていた。
要はフリーランスだ。
退職してから約2ヶ月後くらいに沖縄にある小さな専門学校で相談したことがある。
とあっけなく撃沈したため「文字起こし」をすぐに諦めてしまった。
その後、フリーランスのことをネットでよく調べるととてつもないけど辛い仕事じゃないかとあっけにとられた。
- 休みなんてない。
- 休んでもお金もらえない(有給ない)
- 収入が不安定。
- 勤務時間が不安定。
- 残業代なんてない。
フリーランスの世界にはこんなフレーズが沢山溢れていた。
もちろん、軌道に乗ればサラリーマンより良いところも見えてくるがそうでないときもある。
本当は退職までにちゃんと調べておくべきだったと反省している。が辞めてしまったのはしょうがない。
サラリーマンとして生きるのも、フリーランスで生きるのもどっちも嫌だった自分は無職という曖昧な日々を過ごすことになる。
色んな人から無職を心配される
無職になってから会う友達や親、親戚にはことごとく同じことを聞かれた。
というフレーズだ。このフレーズは退職してすぐの頃の自分は強気だったため、
と答えれていた。
ただ、繰り返し同じ質問をされると流石に病む。
貯金が目減りしていく現状を知ったあとだと尚更。
驚くほどじわじわと自分の精神を蝕む言葉になっていった。
平日の昼間が苦痛になる
無職になって最初の頃は平日の昼間を思う存分に楽しめていた。
平日昼間はみんな仕事しているからでかけても空いている!
平日休みラッキー無職最高!なんて楽しんでいた。
でも、しばらくするとそんな平日の昼間も楽しむことができなくなっていた。
メモ
- 街に出るということはお金を使わないといけない。
- お金を使うともちろん、お金は減っていくばかり。
- 節約するためにお金を出すのを控えると街に出なくなる。
- 街に出なくなると平日昼間は家に引きこもるかマックで100円のコーヒーでも飲んで時間つぶしするしかなくなる。
平日の昼間が本当に暇でたまらなくなった。
改めていうが自分は無職だ。仕事をしていればこの時間帯は働いていてお金を生み出すことができる。
無職の自分にはこの暇から生み出せるものは何一つなかった。
暇という時間が精神を蝕んでいく。
友達の仕事愚痴が苦痛になる
退職してから友達に会う時には、仕事の愚痴などをきくこともある。
最初こそはそんな社畜の友達を自分は舐めた目で見ていた。
今思えばなんて愚かな自分であろうか。
無職ということに病み始めた自分が改めて仕事の愚痴を漏らす友達に対しての考えが変わってきた。
という風に仕事をしている人というのが眩しくて尊敬できるようになってきたと同時に自分の惨めさに気づいてきた。
友だちの結婚式で惨めな思いになる
そんな中、友だちの結婚式が地元で開催された。
自分も招待されて無職の中参加した。(正直、ご祝儀3万円が辛かった)
中学校以来、久々に会う友達が本当にたくさんいた。
そんな中で当然話題に上がるのがこちら。
まぁ、それが話のきっかけになるのはわかる。
と答えると、
「あー。(察し)」のような会話が何度も繰り返された。
こうやって慰められるような言葉も正直、ひどく傷つく。
自分の惨めさを強調されているようで嫌だった。
2次会でも全然知らないテーブルに呼ばれて変な空気になったのも嫌だった。
人と会うのが苦痛になる
自分の退職話を自信を持って話せなくなる、友達から「大丈夫?」と言われたり、なぜ慰められたりするようになる中で段々と人に会うことが苦痛になってきた。
もう自分のプライドなんてズタズタになっていたし、何言われても自身をもって話をすることができなくなったので人とあってもどうしようもなかったからだ。
沖縄移住して最初こそは友達を作るためにたくさん動き回ったけど2ヶ月もすぎれば新しく友達を作ろうとは思わなくなっていた。
実家に帰省をしても友達はおろか、親戚、いとことも積極的に会うことはなくなっていた。
不眠症になる
この頃はもう無職でいる自分に大きなコンプレックスを持っていたことは語るまでもない。
そうやって人と会うことを拒否する自分。暇で何をしてもよいかわからない自分。お金が減っていく自分の将来が何も見えなくなっていた。
これから生きていけるのか不安になると眠れなくなった。
眠たいと思って布団に入ってもこれからの自分を想像して不安を感じてしまい汗びっしょりになって眠れない。
眠れないと余計に「寝なきゃ」と思ってさらに眠くなる。
朝起きたら顔はクマだらけ。
精神的に病むのはまだしも、眠れないことは身体的にも体を蝕んでいった。
人に相談して号泣。再就職を決意。
意を決して一番親しい友達に相談をした。
と相談を始めた瞬間、目に涙が溢れて止まらなくなった。
このときに溜まっていたものが全部溢れたんだと思う。
友達はこう言ってくれた。
再就職なんて考えてなかったから改めて「ちゃんと就職しろ」といった友達の言葉には心に響いた。
この言葉には本当に救われたと思う。
ポイント
ちゃんと本業として定期的な収入(給料)があった上で自分の好きなことを副業として見つけていくという考えは自分にとって最善手かなと思う。
心に定期的な収入という安定を与えてくれて、心の安定があるからこそ好きなことに打ち込める。
収入がないと精神が不安定になって好きなことすらできないから。
まとめ
文字ばっかりの記事になってしまいましたが、自分が退職してから鬱になり再就職を決意するまでをまとめて見ました。
退職したあとではなんとも感じなかったことが時間の経過とともに少しずつ精神や体を少しずつ蝕んでいくところには驚きました。
でも、よく考えてみれば自分の退職にもツメの甘さがありました。
「沖縄移住したい」という目的があって辞めたものの「沖縄移住」は「沖縄移住」してしまえば達成されます。
大事なのは「退職して沖縄移住してそこから何をしたいか?実現するためにどうやって生計を立てていくか?」であったと思います。
目的を見失ってしまう退職ほど愚かなものはないかなと思います。
無職という恐ろしい職業。
自分がもし退職の相談を受けたときは体験談を話して「無職」はやめとけ。とアドバイスするかと思います。
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